第一章 色彩学校カラベール

 【第一章 色彩学校カラベール】

 背の低い少女は、二人の少年を見送っていた。少しぼさっとした長い髪が風になびく。無愛想な表情で『早く行ってしまえ』という態度をとっていた。
「キャロット。あとのことは任せたよ」
「誰が先に虹色を越えられるか、競争だからね!」
 そういうと、二人の少年は、手を振り、色彩王国から去っていった。
 長年、共に学び、毎日のように一緒に過ごした三人の別れは、意外にもあっけないものだった。

          *

 別れから数日が経った。
 キャロットは、色彩学校「カラベール」の図書室にいた。

 学校は元々、美術館として使われていたため、各フロアの天井は非常に高く、内装も豪華な造りとなっていた。正面入口を入ってすぐの大きな空間には元々、案内所や受付、グッズ販売所があったものの、現在は、多数の本棚が設置され、色彩専門の図書室として改装されている。また図書室は、学習の場として、一般人にも開放されている。
 そんな図書室の角に置かれた椅子の上で、キャロットは、両足を抱えるようにして本を読んでいた。読みながら小声を出している。子どもが絵本を読んでいるような光景である。

 キャロットは、『色の幻奏家』をしている。
 色の幻奏家とは、教室や街中など、あらゆる空間をキャンパスにし、特殊な魔法で様々な色彩現象を具現化し、演出を繰り広げる、『空間の芸術家』である。また、空間の演奏家や演出家とも呼ばれている。ダイヤモンドダストのような、キラキラ輝く『光』の美しさを表現する幻奏家や、色とりどりの風船を飛ばすような、『色』の楽しさを表現する幻奏家など、タイプは様々である。
 また、空間を演出することを『幻奏する』という。
 幻奏家は、基本的に幻奏の全てを自ら行う。幻奏を行うための舞台や時間、演目の流れ、衣装など、あらゆるものを決定し、自らも演技者となり舞台に上り、観客の前で立ち振る舞う、単独エンターテイナーである。
 幻奏家が使う魔法は、使い方によっては人に被害を加える恐れがあるため、国内であっても、幻奏場所や規模が制限されている。
 キャロットは、幻奏に必要な高度な魔法もほぼ独学で会得した。学校を首席で卒業し、現在は、カラベールに在籍し、色の幻奏家として活動している。そして、この歳では珍しく、『通り名』が特別に与えられ、『ミルキー・ローズ』と呼ばれている。

 カラベールは、学校であるものの、実質は色彩関連の職人が連合を築き運営している。いわば『職人連合』である。個々の職人に代わり依頼受付の代行も行っている。
 カラベールは設立して間もない。だが、国民から多大な支持を受け、数多くの偉業を成し遂げた色の幻奏家『ルー』が設立したことで、わずか二十年足らずで、色彩王国を代表する学校の一つとなった。今では、『ヴェーネス』を頭首とする国内で最も歴史のある色彩学校『ファゴット』と対峙する存在となった。国民は国を代表する二人の幻奏家の名前を上げ、『ルー派』と『ヴェーネス派』と呼び、二大巨塔の行く末を楽しみにしている。そして現在、新人幻奏家としてルー派のキャロット、ヴェーネス派のパンセが注目されている。

 学校を卒業した後は、独り立ちする者や家業の仕事を手伝う者などがいるが、肩書きを『生徒』から『職人』に改め、連合に加入し、そのまま勉強を続ける者も多い。キャロットも、幻奏家としての腕を磨くため加入し、ルーによる直接指導の下、勉強を続けている。 キャロットは、『虹色』と呼ばれているルーとの出会いで色の幻奏家になることを決意した。当時、ルーが行った幻奏は、街の一箇所を使う小規模なものだったが、幼少期のキャロットにとっては、「この世界の全てが色に包まれた!」という感覚に陥るぐらい感動で満ち溢れるものだった。そして、現在もルーへの尊敬と敬意は変わらず、ルーから幻奏家として誰よりも認めてもらいたいと思っている。

第二章 不機嫌なキャロット

 【第二章 不機嫌なキャロット】

 キャロットは本を読んでいた。しばらくすると、誰かが歩み寄り、キャロットの前で立ち止まった。
 馴染みのある圧迫感とチラッと見た足元で、顔を上げることなく誰なのか理解した。
「今日は仕事じゃないの?」
 キャロットは本から目を離さず問いかけた。
 相手は無言のまま、自身が持っていた本を、キャロットの視界に差し込んだ。本のタイトルを読んだキャロットは、不機嫌な上目遣いで、『なによ?』という表情を向けた。
 そこには、髪が短く、ボーイッシュな少女が立っていた。キャロットと同じぐらいの歳だが、少し大人びている。
「キャロ、あなた今日、交流会でしょ? 相手はあの天才パンセよ」
 少女は、不安と心配をいだいていた。
(あなたも十分天才だけど)と付け加えようとしたが飲み込んだ。
「ルビーには関係ないじゃない」
 キャロットは不機嫌に答えた。
「今回は取材も受けるんだから、愛想笑いぐらいしときなよ。そんなんじゃ・・・」
「私はいつもどおりで良いよ」
 キャロットはルビーの話を遮り、本を優しく突き返した。
 そして、椅子の下に綺麗に揃えてあった靴を履き始めると、小さなため息をついた。
「ルビー、仕事は大丈夫なの?」
「今日の仕事は、幼馴染の晴れ舞台を見ること!」
 腰に両手を当て笑った。ルビーは普段『タイル張り』の仕事をしている。
 キャロットの口が小さく何かを呟いた。
 
「時間があるならちょっと付き合って。・・・98ページ3行・・・」
 そういうと、読んでいた本を腕に抱え、隣のフロアへ繋がる『大扉』へ向かって歩き出した。
「え?!ちょっと待ってよ!」

 ルビーは閉じられた扉を見上げた。
 他のフロアーに繋がる扉は開いているが、ここだけは閉まっていた。
「それにしても、ここは相変わらずすごいね!」
 扉には、高すぎて見えないところまで繊細な装飾が施されていた。元々美術館なだけあり、細部までのこだわりは「すばらしい」の一言である。
「ほら、入るよ」
 ルビーが扉を見上げている間に、キャロットは〔関係者以外立ち入り禁止〕と書かれた柵の向こうに進み、扉のノブに手を伸ばしていた。
「ちょっと待って! 私が開けたい!」
 ルビーは柵を飛び越え、キャロットをキラキラと見つめた。
 キャロットは少し扉から離れた。
「ありがとう! さぁ〜てっ! 開けちゃうぞぉ〜!」
 なぜか開けるのをじらすルビー。『っちゃうぞぉ〜。っちゃうぞぉ〜』と言葉を連呼している。
「もぉ! 良いからさっさと開けてよ! (というかここ図書室!)」
 小声で怒鳴るキャロット。図書室の人たちの視線が痛い。
〈ガコンッ〉
 扉が開く瞬間、鈍い音が響いた。扉がゆっくり開きだすと、図書室にいた人たちからどよめきが上がった。キャロットは、感動を声で現したいルビーの気配を感じ、ルビーの身体を急いで扉の奥に押し込んだ。

 扉を入ると、無機質な空間が広がっていた。窓も無く、ただ明るく白い通路が遠くまで伸びていた。
「ルビー。ここから先は派手な行動しないでよね」
 キャロットは小声で話を続けた。
「ごめんごめん! もう大丈夫だから」
 ルビーは自分でもはしゃぎ過ぎたと思っていた。
「そうじゃなくって、ここからは監視エリアになってて、怪しい人はその場で拘束されるの」
「え? どういうこと?」
「良いから。この先はカラベールの総本山なの。もっと言えば私のオーラに変化があっても守護者が現れるの」
「守護者? え? なにそれ? 警備員じゃないの?」
 ルビーは聞いたことのない言葉に戸惑いながらも、キャロットの顔色からこれがまじめな忠告だとうことは理解できた。

 二人が話をしていると前方に人影が見えた。そんな話を聞いた後だけに、ルビーは緊張して、身構えた。
 人影は明らかに二人を見ていた。違う。見ていたのは「二人」ではなく、ルビーの方だ。
 人影は、徐々にこちらに近づいて来る。そして、人影との距離が数メートルにまで近づいた。だが妙である。この距離なら『人影』が『人物』として認識出来て良いはずである。
ところが、『人影』から『人物』という分類に認識が切り替わらない。目の前にいるのは『人影』のままである。
 それに気づいたルビーは一気に恐怖を感じた。
「キャ、キャロ・・・!」
 今までに感じたことのない現象。人なのは分かる。思考回路は一気に幽霊という分類に向かった。
「やだ・・・」
 緊張と恐怖で鼓動が上がる。
 ルビーが動けずにいると、キャロットがルビーの前方に踏み出した。
 すでに『人影』も目の前にいた。
 キャロットは、指先を人影の前にかざし、話し出した。
「色彩調停理論 第8部27章8節 視覚等倍流離移動 ガロフォードの幻影」
 キャロットが小声だったこともあり、ルビーには呪文のように聞こえた。
「逆相違波長放出開始」
 キャロットは何かを始めたが、かざした指に変化は無かった。だが、次第に『人影』が『人物』として現れ始めた。
 現れたのは、白いロングコートを羽織り、フードを深々とかぶった人物であった。人物はフードを取り、話し始めた。
「やっぱお前すごいわぁ! 脅かしてやろうと思ってたんだけどなぁ」
 現れたのは、キャロットより一回り年上の少年だった。『参った!』といった表情を見せていた。コートの隙間から杖が見える。
「友達も一緒なんですよ」
 キャロットは怒っていた。
「ごめんな、君」
「あっ、いえ・・・」
 ルビーは、キャロットと少年との会話で、何をしていたか大まかには理解出来た。

 キャロットとルビーは少年と一緒に通路を進んでいた。
「それにしても、さっきの、お前の専攻じゃないだろ?なんで使えんだよ?」
「本で読んだんですよ」
 キャロットは少し無愛想だ。
「読んだだけ?」
「はい」
「なるほどなぁ。オレたちとはスペック自体が違うみたいだな」
 少年はキャロットの才能に改めて感嘆した。

「それじゃ、今日の交流会決めて来いよ! お前はオレたちの代表なんだからな!」
キャロットは『決めるってなにを?』と思ったが『分かった』とだけ答えた。少年は通路を曲がり去って行った。

 しばらくまっすぐ歩き続けると小さな扉が見えてきた。先ほどのような迫力は無いものの、豪華な作りに変わりはない。
「ルビー、また開けてみる?」
「え? ううん、いいや。キャロットが開けて」
 そう言うルビーの顔は少し疲れていた。

 扉を開けると、またすぐに通路を挟んで目の前に扉が現れた。その扉は今まで見てきた扉とは違い、普通の扉だった。
 それを見たルビーは、少し安堵した様子だった。
「ここからは警戒エリアじゃないから安心して」
 キャロットの言葉で、ルビーから緊張がほぐれ、笑顔が戻った。
「じゃあ、私があける!」
 急に、いつものルビーに戻った。

 扉を開けると、落ち着いた木造作りの通路が現れた。窓から差し込む光がとても綺麗だった。カラベールの敷地内にあるものの、先ほどまでいた美術館エリアとは大きく異なる。建物の匂いからして、増築されて間もないようだ。
「ここってなに?」
「私たちの研究室」
「へぇ〜。あっ、ここがそうなんだ!」
 ルビーは、キャロットから良く聞いていた研究室の話を思い出した。
「でも、部屋の中はそんなに面白くないよ」
「そうなんだ〜」
と返事をするルビーの目線は、研究室の名札をチェックしていた。
「わぁ!ここ、あのトーセンさんの研究室?!」
「うん。でも今出かけてるから居ないよ」
「そっかぁ。会いたかったなぁ」
 ルビーは、扉を通り過ぎるものの、もう一度振り返って見てみた。
「キャロの部屋ってどこ? たしかココロとルグと一緒だったよね?」
「うん、私たちは見習い扱いだから個室はまだ無いの。部屋はね、この上・・・」
 やや薄暗い階段を上りきり、振り返る。
 キャロットが「あの部屋」と指差した先に、外に出っ張るように作られた部屋があった。
「あの部屋かぁ!」
 ルビーは、キャロットたちの部屋に近づくにつれ、ワクワクし始めた。しかも、研究室と名の付く部屋である。一般人は、けして入れない部屋。期待感は一層高まる。だが、キャロットの顔色は少し暗くなっていた。

 キャロットは、二人と別れて以来、この研究室に一度も来ていなかった。交流会で必要な物を保管していたものの、今日まで足を向けられずにいた。

 二人は部屋の前に着いた。
「ねぇ、着いたよ。ここでしょ?」
 ボーっとしていたキャロットにルビーが話しかけた。
「あっ、うん」
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
 そういうと、首に架かっていた紐を引っ張り、鍵を取り出した。鍵を鍵穴に入れ回すと金具が外れる音がした。キャロットは一歩扉から離れ、小さく息を吐いた。
 そして、扉を開いた。

〔ガチャ〕

          *

「キャロおはよう」
 ルグは、ヘッドホンを掛け、部屋中央のソファでくつろいでいた。ソファの後ろの窓からは、暖かい日差しがほぼ垂直に差し込み、優しい風がレースのカーテンをなびかせていた。ソファ正面のテーブルには、紙が無造作に置かれていた。紙には、魔法陣がラクガキされている。
「うん、おはよう。ココロは?」
「まだ来てないよ」
 ヘッドホンを取り、跳ねた癖のある髪を手で抑えた。
 キャロットは、ルグの言葉にちょっと顔がほころんだ。
 だが、そんなキャロットの横を何かが颯爽と通り抜けた。ルグの前を通り、少し長い髪をなびかせながら、部屋の角の小棚に飛び乗った。
 そこに居たのはココロだった。
「キャロットおはよう」
 ココロは落ち着いたトーンで挨拶すると、メガネを掛け直しながら、本を取り出し、その場で読み始めた。
 キャロットは返事をせず、黙ってココロの元に歩み寄った。
「そこどいてよ」
 キャロットは不機嫌な上目遣いでココロを睨み付けた。
「早いもの勝ち〜」
 本を読みながら話を受け流すココロ。
「ちょっとルグ? この場合どっちが正しい?」
 キャロットはルグに判断を託した。
 ルグは、何処かに消えたペンを探しながら答えた。
「そうだね〜、ココロは今日、僕に挨拶してないしね〜」
 適当な理由付けをするルグ。
「おはよう!」
 すかさずココロが挨拶をした。
「だめ。今日はキャロットが正しい」
 キャロットはルグの判断を耳にした瞬間、ココロの足を引っ張り、引きずり降ろした。
「わぁ!」
 ココロが床に落ちると同時に、キャロットが小棚に飛び乗った。
「キャロットさん。ちょっと強引すぎやしませんか?」
 腰を押さえながら、よろよろと立ち上がるココロ。
「全然」
 キャロットは悪びれる様子もなく、小棚の上にぺちゃんと座っていた。
 そして、膝に本を開き、満足そうに読み始めた。
 ココロはふらつきながら、ソファーの後ろに回り込む。
「ねぇココロ、僕のペン見なかった?」
 ルグは、ソファの間に挟まっていないかと探していた。
「ルグの・・・裏切りもの〜!」
 ココロはルグの後ろから掴みにかかった。
「うわぁ!」
「おわっ!」
 反動でソファが倒れ、ココロがソファの下敷きになった。ルグも床に倒れた。
「ココロっ!」
「ハハハ! ごめん!」
 ソファに挟まり、身動きが取れないにも関わらず、ココロは笑っていた。
「キャロ、ちょっと手伝って」
 ルグはキャロットに応援を求めた。
 キャロットは、本で顔を覆うようにして読んでいた。
「ばか」
 本の向こうから、笑いを堪えるような声が聞こえた。
「キャロット〜助けて〜!」
 ココロは限界に近づいたのか、救助を求める声を上げた。
「もぉ〜、しょうがないなぁ〜」
 キャロットは仕方なく動き出した。
「あっ! ルグ。ペンあったよ。」
 キャロットは、二人に近づく途中、ソファの下にあるペンを発見した。
「あっ! ホントだ!」
 ルグはソファの奥に手を伸ばした。
「痛い痛い痛いっ!」
 ソファは持ち上がり、ココロをさらに締め付けた。
「ココロ! もうちょっと我慢して! キャロ手伝って!」
「え?どっちを?」
 ルグとココロは同時に「こっち!!」と答えた。
 キャロットは、迷いつつもペンを優先した。
「痛いイタイイタイッ!! キャロの裏切りもの〜!!」
 キャロットは、ルグを楽しげに手伝っていた。

          *

「へぇ〜。ここが三人の研究室かぁ〜!」
 ルビーは興味津々に部屋の中を見渡した。
 まず目に入ったのは、スピーカーだった。
「なにこれ?! あんたたち色の専門家でしょ? なんでこんな高そうなスピーカーとかあるの?」
 素人でも高級と分かる音響機器が揃っていた。
「本もやっぱり揃ってるねぇ。わぁ! 何が書かれてるのかやっぱり、さっぱり、やっぱり分からないや!」
 色彩の専門書をめくるものの、内容の難解さに思わず爆笑のルビー。
「ケホッケホッ!」
 ちょっと埃っぽさを感じたルビーは窓を開けた。とっても気持ちの良い爽やかな風が流れ込んできた。
「それにしても、部屋、ちょっと散らかってない? ねえ、キャロ? あれ?キャロ?」
 キャロットからの返事が一向にない。振り返ると、キャロットはまだ部屋の外に立っていた。
 ルビーは一度部屋の外に出て、キャロットの顔を心配そうに覗き込んだ。
「キャロ?」
 キャロットにルビーの声は聞こえていないようだった。

 キャロットは、部屋に入って行った。キャロットの目には、静かな部屋が映っていた。白いレースのカーテンが風で揺れ、床の一部に光が当たっていた。優しい風がキャロットの髪を撫でて行った。
「あっ、そっか・・・」
 キャロットは何かを思い出したかのような反応をみせた。
 そこに二人の姿が無いことを認識した。

 いつも、中央のソファでくつろぎながら音楽を聴くルグ、そして部屋の角で本を読むココロ。キャロットが部屋に入ると、ルグは「おはよう」と挨拶をしてくれる。ルグの前を横切り部屋の角に向かうと、ココロと席の奪い合いでケンカになる。するとルグが解決方法を提案してくれる。
 今は、あれだけ奪い合いしていた小棚の席も独り占め出来る。仕方なく受け入れていた解決方法も聞かなくて済む。

 キャロットはソファの前を通り部屋の角に向かった。
 そして、小棚に上り、黙って座った。

 ルビーは、キャロットの行動に戸惑っていた。
 そして、言葉をかけ反応を見ることにした。
「この部屋には、三人の思い出が沢山詰まってるんだね・・・」
 ちょっと前のカレンダーには、当時の出来事がメモされていた。
「『十二日、ココロ食中毒にかかる。』なんかココロっぽいなぁ」
 笑いどころを見つけて話すも、キャロットに反応は無かった。
 カレンダーのページをめくり、過去のメモを見てみる。
「『7日ルグ、冒険に出かけるため長期不在。お見送りパーティー。』『8日ルグ、忘れ物を取りに帰還。お出迎えパーティー。』これはちょっと恥ずかしいね! 気まずさが目に浮かぶよ」
 キャロットに変化はない。
 ルビーは、ソファに座ろうとした。
「あっ、だめ、そこルグの席だよ」
 そういうキャロットの声に、感情はこもっていなかった。
 「あっ! ごめん!」
 ルビーはとっさに飛び起きた。
 そして、今度はキャロットと対角線上にある部屋の角の椅子に座った。
「そこはココロの席」
「あ! そうなんだ!(どうしよう私の居場所が無い・・・)」
 残るはキャロットの場所か。
 ルビーは、両膝を抱え込むキャロットの傍に行き、黙って寄り添った。

 ルビーは、静かな部屋をしばらく見渡していた。
 キャロットは変わらず、膝に顔をうずめ、沈黙していた。
「ねぇ・・・」
 ルビーは、キャロットの肩に恐る恐る手を置こうとした。
 その時、キャロットの肩が震えていることに気づいた。
 すると突然、なんともいえぬ不安げな声が漏れた。
「おぅ?!」
 ルビーは驚き、置きかけた手も制止した。
 キャロットは口を押さえていた。
 ルビーは、キャロットをじっと見た。

 キャロットは、泣くのを必死に我慢していた。
(この子・・・!)

「キャロ! 我慢しなくて良い!」
 ルビーはとっさにキャロットを抱きしめた。
 キャロットはしばらく、抱かれたまま肩を震わせていたが、突然、何かが切れたかのように泣き始めた。

「もしかしてあなた! 二人と別れるのが寂しかったの?!」
 キャロットはルビーにしがみ付き、二人は床にズレ落ちた。
「もぅ・・・ あの時泣けなかった分、今泣いときな」
 ルビーは優しくキャロットを包み込んだ。
 キャロットは、感情のまま泣き続けた。

(感情を素直に出せない不器用な子。寂しいのに寂しいと言えない。本当にどうしようもない子なんだから。)
 いつの間にかルビーも泣いていた。
(キャロットの性格の不憫さになのか、キャロットと二人の別れの悲しさになのか。
 理由は分からない・・・。あっ! 扉開けっ放しだ! もういいや・・・)

 二人は一緒に泣き続けた。

・・・

第三章 虹色ルー

 【第三章 虹色ルー】

 柵の向こうには、夕刻を迎え始める田園風景が広がっていた。暑さも和らぎ始めてきた。オレンジ色に輝く草原の向こうでは、緩やかな山々が連なっていた。そんな風景が街外れであることを感じさせる。

 そんな田園風景が広がる場所に一軒の喫茶店があった。小さい店だが、テラスにはテーブルが二台置かれ、大自然のパノラマが楽しめる。テラスのすぐ前には広い草庭が広がり、奥には大きな木があった。

 「パオ〜ンッ!」
 そんな草庭で、小象とオオトカゲが楽しそうにじゃれ合っていた。
 まだまだ子どもの二匹だが、力は一人前である。じゃれ合うたびに地響きが鳴り土煙が舞う。近づくのが怖いほどだ。
 しばらくすると、小象とオオトカゲは長い鼻と長い尻尾を絡ませ、綱引きを始めた。
 小象がやや劣勢である。だが、闘争本能が目覚めたのか、目つきが変わるとオオトカゲを勢い良く引っ張り、ひっくり返した。小象は喜んだ。
 『次は何をして遊ぼうか?』二匹からそんな楽しげな会話が聞こえてくるようだった。

 そんな二匹を眺めながら、派手なオレンジ色のツナギ服を着た精悍な老人と、民族着のような装いのまだ若い中年男性がテラスでくつろいでいた。
 二人が話をしていると、店の奥から店主らしい人が現れた。重厚な小箱を大切そうに持っている。そして、老人に手渡した。小箱を開けると、蒼いペンダントが入っていた。老人は、夕日にかざし確認すると、嬉しそうな顔を見せた。

「お〜い! もう帰るぞぉ〜!」
 老人は、小象に声をかけた。だが、小象は無視して遊び続けた。
「トーセン、先行っててくれ」
 老人は、一緒に喫茶店を出てきた民族着の男性にそういうと、小象に近づいて行った。
「そんな耳して聞こえないふり・かっ?!」
 老人は小象の尻尾を掴み、強引にオオトカゲから引き離した。
 小象とは言え一トン近くある体重を片手で引っ張っている。
「パオ〜!!」
引きずられながらも、『やだやだ!』と駄々をこねる小象。
「わるいな。また遊んでやってくれ。」
 とオオトカゲに話しかけるが、その光景に驚いたのか、オオトカゲはただ唖然としていた。

小象と二人は、田園風景を抜け街に入った。そして、そのまま街の中心部へ向かった。日が落ち、辺りが薄暗くなると、街灯が次第に灯り始めた。
 『色彩王国』と言われると『鮮やかな色彩の街』という印象があるが、色鮮やかな家々が立ち並ぶ、という分けではない。中には色鮮やかな建物も存在するが、実際は、他の街とさほど変わらない。むしろ地味な色の建物も多くみられ、灰色の建物が密集する地区さえあるほどだ。色を主な産業とするこの国の人々は、普段からあらゆる色に囲まれて生活しているため、その反動や仕事のし易さで、白や黒など無彩色の空間を好む者も多いのである。
 仕事は様々であるが、主な業種は『色彩設計』である。膨大な色をまとめ上げる仕事であるが、具体的には、建物や備品の配色提案を行っている。色の物理的効果や心理的効果、また精神的効果をふまえた上で、『人のための』配色を行う。次に多いのが芸術家である。色に重点を置いた工芸品や芸術作品などを生み出すことを生業としている者である。色の幻奏家もまた芸術家の類に入る。芸術家の中には、魔法を組み合わせ作品を作り上げる者も珍しく無い。むしろ、世界で名品と呼ばれる作品のほとんどに、なんらかの魔法が関わっている。だが、色の幻奏家は、ほぼ魔法のみで行われるため、芸術家の中でも特別な位置に置かれている。
 
「よっ!」
 老人は小象の背中に軽々と飛び乗った。
 身軽な動き、派手なオレンジ色のツナギ服、とても年寄りには見えない。
「ルーさん。今日は上手くいきますかね?」
 トーセンはこれから始まる新人交流会を心配していた。
「キャロットは周りに合わせるような子じゃないでしょ? それに、向こうのパンセ君も見た目は優しそうでも一癖ありますしね」
 トーセンは思いを巡らせた。
 パンセはキャロットと唯一、同世代で実力が拮抗する幻奏家である。幻奏家としては認められているものの、素行の悪い連中と目撃されることもあり、あまり良いうわさは流れていない。キャロットと同様、若くして通り名を与えられ『影なし』と呼ばれている。
「トーセン。心配し過ぎだ。オレたちは幻奏家だ。大切なのは幻奏家として振舞うことだ」
 ルーはそういうと、指先を前方に伸ばした。
 すると、小象の歩く先に円形の大きく鮮やかな虹が現れた。
 小象は、虹の中を通り抜けた。すると身体にカラフルな色が張り付き、光の絵の具でペイントされた、光り輝く小象になった。

 街の中心に近づき、人も多くなってきた。街を歩く人たちは、国の偉大な幻奏家であるルーを見かけるも、特に騒ぐこともなく、目が合っても会釈だけして通り過ぎる者も多い。
 ルーはカラベールの代表者でもあるものの、普段から良く散歩をしているため、この辺りの街の人にとっては、さほど珍しい光景ではなかった。
 だが小象は別である。人に気づかれる度に、指を指されたり、近づき興味をもたれている。しかも、輝く光のペイントを施された小象は、より一層目立つ存在となっていた。

 ルーと共に歩くトーセンもまた色の幻奏家をしている。通り名は『奥層』と呼ばれている。堅苦しく、聞いてもどのような幻奏家なのか想像しがたい名前である。が、シャボン玉をモチーフとした浮遊感のある幻奏を得意とし、子どもからも絶大な人気を得ている。彼もまた、国では有名な幻奏家であった。

 商店や飲食店などが立ち並ぶ通りの先に、カラベールのある美術館が見えてきた。美術館上空には白い優雅な城が見えている。
 そして、カラベール前の広場には、沢山の人だかりが見えていた。

          *

 中央に大きな噴水がある円形の広場には、これから始まる交流会を楽しみにした沢山の人たちが集まっていた。国も関わる大きなイベントなだけに、国外からも多数の人が訪れていた。また取材陣もカラベールの玄関先で待機している。
 広場で特に目に付くのが、白いロングコートの集団である。ロングコートの人々は、沢山ある街灯の下でそれぞれ待機している。背中にはカラベールの紋章が刻まれている。
 噴水の頂上にはクリスタルが輝き、噴水を中心に同心円状に広がるように沢山の豪華な街灯が設置されていた。

 周囲には、広場を取り囲むようにアパートや商店、飲食店などの建物が立ち並んでいる。どの建物も、広々としたバルコニーが各階に設置され、椅子まで並べられているところもある。明らかに他の地区の建物とは異なる造りとなっていた。さらに、屋上には、観覧席を思わせる座席が沢山あり、広場を見下ろすように設置されていた。
 壁には交流会を祝うために、大きな垂れ幕が掛けられていた。キャロットのシルエットを思わせるものまである。屋上には、カラベールの紋章が縫いこまれた旗がいくつも掲げられている。

 交流会は、定期的に行われ、『カラベール』と『ファゴット』からそれぞれ優秀な新人幻奏家が一名ずつ選ばれ、顔合わせが行われる。街ぐるみの「新人歓迎パーティー」と言ったところである。また、新人幻奏家による幻奏会も一般公開されるため、沢山の人が会場に押し寄せるのであった。今回の交流会はカラベールの室内大演劇場で行われる。会場に入れなかった者は、カラベールの正面にあるこの広場に集まり、大型スクリーンで観覧することになる。交流会までもう少し時間があり、街の人たちは、これから色彩王国を背負っていくであろう、キャロットとパンセの話で持ちきりだった。

「私はキャロットを応援したいなぁ パンセは王室出身だし、なんだか別世界の人だもん」
「うんうん。子どもの頃からすごい英才教育って感じ」
 キャロットより少し年下の子たちが広場で盛り上がっていた。
「それに比べて、キャロットは街のタイル屋だもんね」
「すごい親近感あるよね〜」
「ね〜」

 街灯にもたれるように、二人のスーツを着た青年が話をしていた。
「ルーの弟子ってキャロット以外に後二人いたろ?」
「ああ。問題児のココロと冒険屋のルグだな」
「あいつら国を出て行ったって聞いたぜ」
「本当か?」
「幻奏家の道をあきらめた。ってうわさだぜ」
「そっか。あいつら結構良い幻奏してたけどな」
 青年たちは、仲間を見つけて去って行った。

 紳士的な二人の男性が広場を望めるカフェでお茶をしていた。
「パンセ君はヴェーネス派の流れをしっかり受け継いでいるな」
 男性は交流会のパンフレットを片手に詳細なプロフィールを確認していた。
「輝度幻奏の会得度が高い。それに、この歳で中堅幻奏家と同等の幻奏領域を持つのは強みだろう。キャロットは幻奏領域では劣るものの同時幻奏に長けているようだな」
 向かいに座る男性も幻奏について詳しいようだ。
「どちらも、良い才能を持っている。今後の成長が見物だな」
 そういうと、巨大モニターに並んで映る新人幻奏家二人の映像を眺めた。

 同じカフェの店内奥の重厚な席で、老人たちがカラベールとファゴットの話をしていた。
 「ヴェーネス派の連中は違う。たとえ国民の支持を得たルーであろうと、400年の歴史は越えられないだろう」
 メガネをかけた老人が椅子に深々と座り、片肘をつきながら話した。
 すると、蝶ネクタイの老人が、小さな男の子を膝に座らせながら続けた。
「だが、私は彼を支持したい。今まで誰もファゴットに並ぶ組織を作ろうとはしなかった。彼が創ったカラベールは色彩王国をより活気ある国へ変えてくれた」
 力のこもった声で語られ、周りの者もそれに頷く。
「え〜、僕はファゴットが良いなぁ! あの家お化け屋敷みたいで楽しいもん!」
 小さな男の子は、振り向きながら楽しそうに蝶ネクタイの老人に話した。
「そうかそうか。でもあそこには本物のお化けもいるんだぞぉ!」
 蝶ネクタイの老人は、先ほどの声色をがらりと変え、男の子を怖がらせるように話した。
「僕怖くないもん!」
 男の子は、一瞬驚いた表情を見せた。
 そんな男の子の頭を、ドレスを着た老婆が撫で、話し出した。
「こう言っちゃなんだけど、あの落ちこぼれだったルーが、これだけ認めらるようになるとは思わなかったよ。正直、私が教えていた頃は多くの者と同じで、挫折の道を行くと思っていたね」
 そういうと老婆は目を瞑り、思いにふけりながら、嬉しそうな表情をみせた。
「じゃが、あれだけあきらめの悪いやつは初めて見たわい。四十まで鳴かず飛ばずで、普通はあきらめるじゃろうて」
 髭を蓄えた老人が、髭をさすりながら話した。
「確かに、彼はけしてあきらめようとはしなかった。才能が無かった分、誰よりも努力したのだろう。だが、今、その努力で培われた技能は教える側として多いに役立っている。だからこそ、20年足らずであれだけの人材を集められたのだろう」
 蝶ネクタイの老人は、カラベールの繁栄を熱く語った。周りの者もうなずいていた。
「じいちゃん!お腹減った〜!」
 話し合いの終わりを告げるかのように、男の子が声を上げた。
「そうだな。晩ご飯にしような!」
 蝶ネクタイの老人は、男の子を楽しげに揺らしながら抱きしめた。
 抱きしめられ笑いをあげる男の子だったが、外の騒がしさに気づき、興味を示した。
「じいちゃん!なんかやってる!」
 男の子は、老人の膝から這い出て、外へ駆けて行った。

          *

 日が落ち、夜空には星が輝いていた。広場はより賑やかになり、移動型の店が多数開店し、音楽を奏でる者も現れ始めた。レストランの給仕人も店先にテーブルを増やし初めている。

 そんな中、広場のはずれに、輝く小象が見えた。
 まず、小さい子どもたちが気づき、近寄り始めた。
「この象さん光ってる〜!」
「ねぇ、これおじさんの?」
「なんでゾウいるの?」
 次々にトーセンに話しかける子どもたち。
 薄暗い広場前。まだトーセンとルーだとは気づいていないようだ。
 トーセンは、子どもたちの疑問をルーに伝えた。
「それはな・・・」
「あっ! ルーさんだぁ!」
 ルーが話そうとしたとき、子どもたちがルーに気づいた。
「本当だぁ!」
「なんでいるの?!」
「今日は、幻奏会するの?!」
 ルーに質問が集中する。
 すると、ルーは指を鳴らしながら光の玉を地面に飛ばし始めた。何十個も放たれた光の玉は、ゾウの形に変わり機械仕掛けのおもちゃのように、かわいい動きで歩き始めた。
「わぁ!」
 子どもたちは一斉に光のゾウを追いかけ始めた。
「あれぇ! 掴めない!」
「捕まえたぁ〜」
「え?! これ掴めないよ〜」
「これは掴めるよ〜」
 触れる物とそうではない物があるらしい。
「私も掴みたい!」
「これ掴めるよ!」
 そう言いながら、『がま口カバン』を背負った女の子が、持っていた二個のゾウのうち、一個を差し出した。
「掴めた〜!」
 ツインテールの女の子は嬉しそうに受け取った。
 そして、両の手のひらに乗せた光るゾウを目の前に持って来て見つめた。
「光ってる〜」
 オレンジ色に輝くゾウは、とても暖かかった。
 女の子が見惚れていると、
「こんばんわ」
 突然、光るゾウが挨拶をしてきた。
「え?」
 女の子は驚いた。
「ね〜! このゾウさんお話するよ〜」
 隣にいた女の子に話しかけるも、『おもちゃは話さないよ〜』と言って聞いてくれなかった。
「だってホントだもん!」
 と手のひらのゾウを見せようとするが、いつの間にかいなくなっていた。
 隣の子のゾウも消えてしまっていた。
 ルーに駆け寄る女の子。
「ねー! ゾウさん消えちゃった!」
 とツインテールの女の子は質問した。
「光のゾウは、もう帰っちゃったんだよ」
「どこに〜?」
 女の子の質問に、ルーは夜空に輝く星を指差した。

 ルーは、小象に乗ったまま、噴水まで人だかりをかき分けながら進んで行った。
 噴水近くに着くと、しばらく駆け寄る人々と話をしていたが、『よしっ!』という声を上げ、気合を入れると、小象の上に立ち身体を伸ばした。
 
 小象の上に立つルーは広場を見渡した。千人を超える人々がすでに集まっていた。

 ルーは右手を天高く上げた。
 観客はルーに注目した。
 ルーの右手から強い光が放たれた。
 すると、街灯と噴水の周りで待機していた白いロングコートの人たちが、観客に注意を向け始めた。
 しばらくすると、広場の下から歯車が動き出す音が聞こえてきた。歯車の音は次第に大きくなっていく。すると、広場の端から順に、街灯が地面へと吸い込まれ始めた。次々に収納される街灯に、人々は何事かと驚く。全ての街灯が吸い込まれると、最後に中央の噴水が、地面へと消えて行った。

 広場は真っ暗になった。

 人々は自然と、『虹色に輝く小象』に視線が移る。
 小象は、ルーを乗せたまま、噴水があった場所へ移動してゆく。
 その光景は、真夜中の単独パレードを思わせる。幻想的であったが、少し寂しさも感じられた。

 人々はすでに、「観客」となっていた。

 『間』を少し置いたあと、ルーを中心にして、かすかな光が勢い良く放射され、観客たちの身体をすり抜けて行った。かすかな光は、周りの建物さえもすり抜けて行った。
 観客の数人が上空を指差した。
 見上げると、そこには巨大なドーム型の光の膜が出来ていた。広場に面した建物まですっぽりと覆う大きさである。膜は夜空にかすかすに見える程度であったが、しばらくすると夜空に溶けて行った。
 幻奏を初めて観る観客は、何が起こったのか全く分からずにいた。

 ルーに集中する観客。
 さっきまで騒がしかった広場は、いつの間にか静寂へと変わっていた。
 周囲の建物で仕事をしていた者も、手を止めて観ている。
 観客が息を呑んでいると、突然、巨大な輝く魔法陣が夜空に現れた。
 しかし感動する間もなく、すぐに夜空に溶けて行った。

「パオォ〜ン!」
 静寂の中、小象が突然雄叫びを上げ、広場に響き渡った。
 夜空を仰いでいた観客は突然の雄叫びに驚き、再び小象に注目する。
 アパートに住んでいる人やレストランで食事中だった人たちも、何事かと広場を覗き始める。
 ルーの幻奏を予感していた観客は、すでに周囲の建物の屋上やバルコニーに陣取り、何かが始まるのを待っていた。

 また少し『間』を置いた。
 しばらくすると、小象に変化が起こり始めた。

 小象がさらに輝き出した。すると、小象の表面から、虹色に輝く破片が、『蝶が飛び立つように』浮かび始めた。
 一匹の『光の蝶』が観客の手をすり抜けていった。
 次々に光の蝶は増えてゆく。
 小象を取り囲んでいた観客は、広がり溢れる光の蝶に驚き、小象から距離を取り始める。そして、次々に上方へ飛び立ち始め、周囲の観客を飲み込み、勢いを増していった。
 そして、歓声と共に、大量の光蝶が夜空に舞い上がった。

 夜空には、舞い上がった光の蝶が密集し、まるで大樹のような光景が広がっていた。
 広場は、夜空に出来た巨大な光の大樹に照らされ、お互いの顔がはっきり見えるほどになっていた。

 ルーは右手を上空でクルッと回した。
 すると、夜空に舞っていた光の蝶は回り、ルーの真上を中心に渦を作り始めた。徐々に規則正しい回転を見せ始める光の蝶は、巨大で鮮やかな棒つき渦巻きキャンディーを思わせる形となっていた。
 渦が早くなると、渦の中心に集まった光の蝶は拡散し、細かい光に変わり、砂時計のようにキラキラとルーの頭上に降り始めた。
 さらに渦の勢いが増すと、突然ルーと小象を飲み込むようにして、膨大な光の粒子が一気に垂直落下してきた。
 観客は驚き慌てた。
 そして、地面に衝突すると、『光の津波』が生まれ、観客を飲み込むように広がっていった。
 観客の視界は虹色の光で覆われた。
 観客の歓声が、あちこちから聞こえてくる。
 光は、身体や周辺の建物をすり抜け、ドームの縁に衝突した。
 建物内で働いていた人たちも、突然腰の高さまでの波が押し寄せ慌てている。
 そして、光は、ドームの見えない壁に沿って、全方向から昇り始めた。
 建物の後ろに、次々と光の山並みが出来始める。

 さらに、ルーが両手を夜空に向けると、ルーの身体は徐々に輝き始めた。
 その間にも細かい光はドームの壁を昇り続ける。
仕舞にはドーム全ての面が、虹色の光で覆われた。

 観客は言葉を失った。

 まるで広場ごと、異世界に飛ばされたかのようである。広場は、幻想的で美しい風景に取り囲まれていた。

 ルーは少し笑みを見せるも、カラベールの正面入口に立つ人影を発見すると、再び顔が引き締まった。
 ルーは再び集中し始めた。
 胸のあたりから服を透けて、蒼色の強い光が浮かび始めた。
 とてつもない何らかの力がルーの中から噴きあがり、周囲の空間がゆがみ始めた。
 ルーはゆがんだ空間の中で強く呼吸を乱していた。苦しそうである。
 しかし身体の周りに、光の玉が浮かび始めるにつれ、次第に落ち着いて行った。

 二つの光の玉がルーの身体の周りを回り始める。
 光の玉は、内からにじみ出るような強い輝きを放っていた。光ではなくエネルギーの集合体を感じさせるものだった。

 光の玉が1つ消えた。

 観客は突然、『荷物を降ろした』かのような身軽さを感じた。
 広場にかかる重力が変化していた。
 観客は感じたことの無い浮遊感に心を躍らせていた。子どもたちは、『飛び上がったら、そのまま飛んで行けそう!』と大喜びしていた。『色の幻奏家はこんなことも出来るんだ!』と、沢山の笑顔が広場中に湧き上がっていた。

 そして、しばらくすると、今度は、頭上から何かで押されるような圧迫感を感じ始めた。
 だが、それは、期待していたものと違っていた。
 そして、それは、一気にやってきた。
 広場を含む空間全体が突然強い重圧に襲われた。
 体が重くなり、呼吸も乱れ始める。
 観客は見えない天井に押し潰されそうな感覚に陥っていた。

 予想外の出来事に、観客から笑顔が消えた。
 広場は揺れていた。テーブルに並べられていた皿やコップ、窓ガラスまで危険を示していると分かる振動を見せていた。
 この圧力と恐怖に耐え切れず、その場にしゃがみこんでいる子もいる。

『これは幻奏なのか?』『緊急事態なのではないのか?』
 そんな疑心感を持つ者も現れた。広場は騒がしさを見せ始めた。考えや経験ではない、直感が危険という合図を送っている。

 観客が動揺する中、突如ドーム全面に輝いていた光の壁が、頭頂部から崩れ始めた。
 崩れた壁はその場で拡散し消えて行った。

 観客は仰ぎ見た。圧迫感は続くものの、騒ぎは一時静寂を取り戻した。
 観客は崩れ落ちた壁の先に何かを発見していた。
 だが、ドームの頭頂部は大きく崩れていたが、発見したものの全体像を把握出来ずにいた。

 観客の中には声にならない声をあげる者もいた。
 目の当たりにする現実が理解できず、ただ呆然と眺める者。
 恐怖を抱く者。
興奮し歓喜する者もいた。

 『観客の全て』が、夜空の先を注目していた。

          *

「ルー=ブルリエ?」
 ヴェーネスは、書斎で重要資料を整理していた。
「最近、頭角を現してきた遅咲きの幻奏家です。『王国一の落ちこぼれ』と揶揄されていた方です。ご存知ありませんか?」
 赤髪で首に包帯を巻いた青年が問いかけた。
「・・・あぁ。アカデミーの頃いたやつか。まだやっていたのか」
 ヴェーネスは思い出した。
 当時、特に気にしていなかったが、『落ちこぼれ』という憎い愛称が付いていただけに、否応なく目に付いていた。
「はい。それで、ルー様が新しい組織を作ったということで、是非お会いしたいと・・・」

 だが、会談は行われなかった。

 しかし、後日、ルーはファゴットでヴェーネスと偶然顔を合わせることとなった。
 ルーは何も言わず、ヴェーネスに自分の力を示すべく突然、その場で幻奏を行った。
 空間に光の竜が現れた。
 だが、ヴェーネスはそれを、簡単に自分の幻奏として乗っ取り、漆黒の竜に変え操ってしまった。
「その程度の幻奏で挑発しているつもりか。だったらお前は500年経っても私を超えることは無いだろう」
 そう言葉を吐き捨て、ヴェーネスは去って行った。
 あまりにも悔しい出来事だったが、ルーは挫けなかった。

 そんなヴェーネスだが、ルーはけして恨むことは無かった。
 ルーにとってヴェーネスは、憧れだったのだ。それは今も変わらない。
 ルーが望んでいることは、ただ一つ、ヴェーネスと並び認めてもらうことだった。

 ルーは、ヴェーネスを追っていた。小さい頃からずっと追っていた。
 ヴェーネスは、小さい頃から天才だった。ルーはそんなヴェーネスをいつも羨ましく思っていた。ヴェーネスが一日で会得する幻奏をルーは一週間掛け会得した。ヴェーネスが三日で会得するものを一ヵ月掛けた。ルーが幻奏の基本を覚えた頃、ヴェーネスは新人幻奏家として、デビューを決めていた。ルーはヴェーネスより勉強したが、結局その努力は実らなかった。そしてそのとき、知らない間に、ルーは『落ちこぼれ』という名が付けられていた。

 だが、ルーは、何を言われようと、けして諦めなかった。

 そして時が経った。
 四十歳になったとき、ルーに変化が生まれた。生まれ変わったと言っても良いかもしれない。学習の反復によって詰め込まれた情報は、突然の思考回路の変革によって新たな次元へと昇華していた。それを期待していたわけではない。そんなことが起こるとは予想もしていなかった。だが、ルーの努力はそこで、報われたのだ。ルー自身も、そのとき才能に目覚めたと確信した。
そして、四十歳を越えてからのルーの成長はめまぐるしかった。色彩幻奏大会の最高峰『色彩のメロディアス』での優勝。高次元幻奏の開発。『光のメロディアス』に光の幻奏家として参加し、優勝。
 幻奏家として、一流と呼ばれるにふさわしいあらゆる称号を得た。
 だが、それだけの功績を残しながらも、ルーの心は満たされていなかった。最大の目標であったヴェーネスは、表の世界から姿をけしていたのだ。
 ところが、ある日、突然表の世界に戻り幻奏を行った。『ルーに並ぶ素晴らしい幻奏だった』と当時の観客たちは話した。それは、『ルーがヴェーネスと並んだ』ということを証明していた。だが、ルーはそのときのヴェーネスの幻奏を観て、落胆していた。そして、そのときルーだけは気づいたのだ。

 『ヴェーネスは力の底を隠している』

 ヴェーネスの底を知るために、ルーはカラベールの設立後も幻奏を磨き、自身の実力をぶつける機会を伺っていた。ヴェーネスを振り向かせるには、ヴェーネスを超える幻奏しかない。
 そして、その日を次の天才世代が動き出す今日の日と決めていたのだ。

          *

〔見ておけ。これが私の幻奏だ〕


 ドームの壁が全て剥がれ落ちていた。
 今まで感じていた強い重圧も振動も消えていた。
 静かだった。
 広場は上空から白い光に照らされ、観客は手で光を遮りつつ眺めていた。
夜空の一点に向かって、風が流れている。
 観客は、夜空に浮かぶ物体を眺めていた。

 そこには、真白い『惑星』が浮かんでいた。
広場だけでなく、街全体を飲み込むほどの巨大さだ。
 表面には、太陽の活動を思わせる白い炎の流動、爆発が起こり、 その度に、街全体が強く照らされていた。
 それは、危険や恐怖を感じるものではなかった。
 外周には、さらに巨大な虹の輪が掛かっていた。

 観客は、これが幻奏だということを忘れている。感動を通り越し、ほとんどの者が、歓喜や喜びを示さず、黙って見つめていた。
 それは、観客にとって、『宇宙が落ちて来た』とも言える衝撃的な光景であった。


 ルーは巨大な『惑星』を作り上げた後、カラベールの正面入口に目をやった。
 そこには、体の力が抜けたキャロットが立っていた。
 キャロットは視線を感じ、ルーを見かえした。
 ルーの目は、キャロットに何かを告げているようだった。

 キャロットの横で、ヴェーネスが顔色を変えず見上げていた。
 だが、夜空に浮かぶ球体から目を離さず、観察するように見詰ていた。

 ルーは、キャロットから目を離し、ヴェーネスを一瞬見るも再び夜空の球体に目をやった。
 ルーは「仕上げだな・・・」と呟いた。
 身体の周りを飛ぶ、もう1つの光の玉が消えた。
 すると、球体に変化が現れ始めた。

 球体は、轟音を奏で始めた。
 観客は再び何が起こるのか、期待と恐怖でいっぱいになった。
 轟音が止まると、解放音と共に、球体だった光が柱となり、宇宙に向かって解き放たれた。
 観客だけでなく、街の皆が、その巨大な柱を見詰ていた。
 球体は、ほんの数秒で宇宙へ消えて行った。

 静寂と虹が夜空に残された。

 観客は、ただ、ため息を付くしかなかった。

 疲れを見せる観客だったが、ルーが続けて何かをしようとする動きが目に入った。
 ルーは、今まで手を天に伸ばすのみのしぐさから一変し、腕を大きく回す、指揮者のような動きを見せた。
 すると、夜空の虹が変形し始め、カーテンのような形状に変化した。
 次第に色の濃淡が変わり、ゆらゆら揺れ始める。
 まさにオーロラそのものである。
 さらに、しばらく見ていると、オーロラから星がゆっくりと降り始めた。

 ルーは緩やかに降り続ける星の中、お辞儀をした。
 拍手はまばらだった。未だに戸惑いを見せる者もいる。
 だが、演目終了を告げるアナウンスが流れると、次第に会場は拍手で包まれて行った。
 ルーは、終幕を感じながら、足元の小象だけに聞こえるよう声を出した。
「ありがとう。ウェイルズ」
 ルーはそういうと、その場で垂直にジャンプした。
「こちらこそ。とっても楽しかったよ」
 小象はそういうと、眩い光の粒子に変化した。
 そして、ルーが地面に着地する、と同時に光は拡散し、消えて行った。
 それを観た観客は、感動し、再び拍手が大きくなった。

 地面に収まっていた街灯と噴水が再び浮上し、明かりが灯り始めた。

 夜空から降り続ける星に、止まりそうな気配は無かった。

 ルーは、ふらつく足を堪えながら、気合で立ち上がった。
「さあ、これから交流会だ!」
 ルーは元気良く観客に声を上げた。観客もそれに答え声を上げた。
 トーセンは心服しながらルーに近づいた。
「おつかれさまです」
 トーセンは、ルーの耳元でそう言いながら、肩を貸そうとした。
 ルーは、それを断った。
「今日の幻奏に、『担がれる』という演目はない」
 ルーはそう呟くと、力強い一歩を踏み出した。

 ルーは観客に手を振りながら、カラベールの正面入口に向かった。
 だがそこには、沢山の観客や取材陣が押し寄せていた。
 そんな中、人だかりを寄せ付けないオーラを醸し出しながら、ヴェーネスが階段から降り、ルーの前方で立ち止まった。
 ルーとすれ違う際、ヴェーネスが何かを呟いた。
 ルーは表情を変えることなく、無言で通り過ぎた。
 そのあと、キャロットがルーの下に駆けてきた。
 キャロットと気づいた観客は思わず道を明ける。
「ルーさん・・・」
 キャロットは名前を呼ぶだけで何も話さなかった。
 話したいことは沢山あったが、今はやめたようだ。
 キャロットの先導でルーとトーセンは入口に向かった。
 最後の最後で、取材陣に質問を受けるが、キャロットは、不機嫌そうに『じゃま』とだけ答えた。トーセンは頭を抱えたが、ルーは笑っていた。
 そして、三人はカラベールへ入って行った。

第四章 研究室で探し物

 【第四章 研究室で探し物】

 ルビーは目を覚ました。
(あっ!交流会!)
 慌てて時計を見ると昼の三時を指していた。
交流会は夜の七時。その前に、新人幻奏家たちによる『顔合わせ』が行われるが、それでもまだ時間はあった。ルビーはとりあえず「ほっ」とした。ルビーは、自分に持たれかかり寝ているキャロットの頭を撫でた。

(泣き疲れて寝てしまった・・・子供か私は?!)
 と思うルビーだが、キャロットを見て自分はまだ大人だと思った。
 かわいい寝顔のキャロットを見て、起こすのがためらわれたが、今のうちに起こしておかないと国も絡む重大な式典が危ぶまれる。
 街のしがないタイル屋のタイル職人が『ごめんなさい。』と謝ったところでどうこうなる自体ではない。

「キャロ起きな!」
 ルビーはキャロットを揺さぶった。
「みゃぁ〜・・・」
 寝ぼけたキャロットはルビーに抱きついた。
「おぉ〜!嬉しいが今はダメだ!いや、そうじゃない!起きろキャロットッ!」
 慌てるルビーはキャロットを強く揺さぶった。
「ん〜?」
 瞼は重そうだが、なんとか意識はあるようだ。
 目をこすりながら、目の前にいる誰かを確認している。
「ルビー?どうしたの?」
「おいおい!しっかりしな!交流会!」
「え? あっ あっ!」
 寝ぼけていたキャロットだったが、色々と思い出したようだ。
 慌てて時間を気にするも、ルビーに教えられ、ほっとした。

 部屋は相変わらず静かだった。
 二人は寄り添ったまま床に座っていた。
 ルビーは開けっ放しだった扉を気にしたが、いつの間にか閉まっていた。
 キャロットは、風でなびくカーテンを眺めていた。
 眺める目は赤かったが、とても穏やかだった。

「やっぱり寂しい?」
 ルビーは、落ち着きを見せているキャロットに問いかけた。
「うん」
 キャロットは、一言返事をして話を続けた。
「でも、もう大丈夫。だと思う」
 そう話したあと、自分自身の感情を確認するように頷いた。

「でも、学校を卒業した人の中でも他に仲の良い子はいるんでしょ? アイリやサンカとか」
「うん。でも二人とじゃないと話が合わないの」
「それは、色の話?」
「うん。ルグもココロも私の知らない「色」を知っていたの。学校のみんなは私の知ってる「色」のことしか話さないから。それに一緒にいて楽しかったのも二人かな」
 キャロットは、色々と話を続けた。

 ルビーは、キャロットを少し不憫に思った。
 これが、天才の宿命なのかと。
 もちろん、色彩王国にはキャロットよりも優れた幻奏家は沢山いる。だが、同世代の仲間が居ないのだ。ルグやココロも優秀だったものの、キャロットとの実力差は大きかった。ただ、幻奏を会得していくアプローチや方向性が、普通の幻奏家とは異なるところがあり、それをキャロットは『面白い』と感じていたのだ。いずれにせよ、旅立ってしまった仲間は戻ってこない。キャロットも『二人が、成長を果たさぬまま帰ってくるとは思わない』と考えていた。『キャロットはこの先どうして行けば良いのだろう。』ルビーは、思い悩んだ。キャロットは、今まで『幻奏家』としての人生を送ってきた。この先も変わることはないだろう。ルビーは、自分に出来ることを考えていた。

「ありがとう」
 キャロットは、感謝の言葉を伝えた。
 ルビーは、その一言に沢山の意味が込められていることを察したが、深読みはせず、『おー!』と湿っぽい空気をかき消すように返事をした。

「そういえば、この部屋に何かしに来たんでしょ?」
ルビーは話を切り替えた。
「うん。えっとね、衣装と・・・カメラを取りに来たの」
キャロットは『カメラ』というとき、少し照れた。
「衣装は分かるけど、カメラは何に使うの?」
「今日、先生、幻奏会するから」
 両膝を抱えながら身体を揺らし出した。
「あんた。本当にルーさん好きだねぇ」
 キャロットは嬉しそうにしていた。

「そうだ! 今日の先生、すごいことするみたいだよ!」
 キャロットは、思い出したかのように話し出した。
「ルーさんはいつもすごいじゃん」
「違うの! 今夜の幻奏は本気なんだって。『必ず見に来い』って言われたの!」
 いつもらしからぬ、興奮気味のキャロットである。
「へぇ〜! 何するんだろう? 楽しみだね!」
「うん!」
 そういった後、キャロットは元気良く立ち上がった。
 続いてルビーも、負けずに元気良く立ち上がった。

 衣装とカメラを探し始めた。
 衣装は決められた衣装棚に収納されていた。
 沢山の衣装の中から取り出されたのは、純白のドレスだった。胸元に綺麗なレースが施されていた。裾部分にもレースが施され、白銀で出来た繊細な宝飾がキラキラと輝いていた。キャロットのために、一流の職人が作り上げた一品であった。
「わぁ! ウエディングドレスみたい!」
 ルビーは綺麗な衣装に見惚れた。
 衣装棚には、ルグとココロの衣装も色々掛けてあった。一般的なフォーマルウェアから楽そうな民族服、ツナギ服など様々なものが入っていた。どれも高級感の漂うものばかりである。ただ、二人の衣装も白色の物が多く感じた。
 また、隣のガラス扉の棚には、素敵な杖や大きなコンパスが飾られるように掛けられていた。杖はペンぐらいの大きさの物から腰ぐらいの高さの物まであった。どの杖にも似たような文様が施されている。棒付きの渦巻きキャンディーのような物まである。
「この杖は何に使うの?」
 ルビーは魔法の杖かと思った。だが、キャロットが幻奏会でこれを持つ姿を一度も見たことはなかった。
「それは、幻奏の練習をするときに使うの」
「練・習?」
「ん〜〜。幻奏するときは、体の中にあるエネルギーを使うんだけど、初心者は、そのエネルギーを体の外へ上手く出せないの。エネルギーのことを『ルミネ』って言うんだけど、杖はそれを簡単に身体の外に出すための道具なの」
「へ〜。そうなんだ〜。じゃあ、今は使ってないの?」
「ううん。たまに使ってる。ルミネの放出って結構集中力いるから、面倒くさい時とか頻繁に放出するときにね」
「へ〜。色々あるんだね〜 ・・・これ触っちゃだめ?」
「良いけど、持っても疲れるだけだよ」
「え! 疲れるの!?」
「ちょっとだけなら大丈夫だけど」
 ルビーは少し考えた。
「やっぱり今度にする! 今日は色々忙しいしね」
 そういうと、ルビーはガラス扉から手を引いた。

 二人はカメラを探し始めることにした。
 キャロットは、衣装をテーブルに置き、部屋のあちこちを移動したあと、立ち止まった。
「どうした?」
「場所忘れた・・・ 探すの手伝って。」
 キャロットは、うな垂れながらルビーを見た。まだ目が少し赤く、泣いているように見えた。
 ルビーは、『ついに活躍する時がやってきた』と張り切った。
「よ〜しっ!手伝っ・・・ちゃうぞぉ〜!」
ルビーは、語尾を強調するように声をだした。
「そういえば、最近それ良く言ってるよね? なんなの?」
 キャロットはルビーが使う謎の語尾が気になった。
「『ちゃうぞう君は今日も行く!』知らないの?!」
「知らない」
 キャロットは、興味がなさそうに答えた。
「ちゃうぞう君が、『○○しちゃうぞぉ〜』って色々な疑問を解決『しちゃう』番組だよ! 数年前に始まってもう終わっちゃったんだけど、全七七九話の超大作だよ!」
 ルビーは、興奮気味に説明した。
「七七九話?! そんなに長いの? ばかじゃないの」
 キャロットは、くだらなそうな番組の放送回数に驚いた。
「ちゃうぞう君は確かに『ばか』だけど、〔七七九話〕はばかじゃないよ! あっ。でも五四話と六二七話、他にも同じ内容の回が頻繁にある・・・」
「ほら。やっぱりばかじゃん。色々ばかじゃん。製作者込みでばかじゃん」
 キャロットは、興味が無かったものの、少し楽しそうだった。

 カメラの探索を再開した。
 部屋は結構広い。部屋中央にはソファとテーブル、そして棚。棚には音響機材が置かれている。部屋中央はそれ以外、得に何もなく、それゆえにより広く感じる。天井付近の八方向には、スピーカーが設置されていた。壁上部一面には、ヴァイオリンや民族楽器が掲げてあり、一見すると音楽家の部屋と見間違うほどである。ただ他の面には、色彩の専門家らしい色の見本表や色彩関連の記事、ポスター、カラベールの紋章がなどが貼られている。壁の三方向には、大小異なる窓があり、部屋に入った瞬間とても開放的な印象を与えてくれる。しかし、壁伝いは本棚、作業机、資料置き場が結構な密度で置かれていた。扉を入って一番奥の角は、本や箱、荷物が山のように詰まれ、ひどい状態になっている。さらに、その山の奥にも棚がある。

 キャロットとルビーはカメラを置きそうなところを探したが、見つからなかった。
 そして、最後の砦を眺めた。
「とりあえず。怪しいのはこの山だな」
 ルビーは、仁王立ちで、沢山の荷物が詰まれた一角を眺める。
「私もここが怪しいと思う」
 キャロットもルビーに習い腕組をし、積み重なる強敵を前にする。
 幸い、この山を崩し、一時避難させられる床は沢山ある。
 キャロットとルビーは、片っ端から床へ荷物を移動し、崩す戦法を取ることにした。
「さぁ! 見つけ・ちゃうぞぉ〜!」
「ちゃうぞぉ!」
 ルビーに続きキャロットも思わず続けた。が、少し照れていた。

 次々に資料や骨董品が床に敷き詰められていく。『この際』ということで、山を崩しながら荷物の分類も同時に行っていった。
 崩して行くうちにルビーがアルバムを見つけた。
「これ、カラベール入学時の写真だ!」
「あとで良いよそんなの」
 キャロットは、カメラ探しを優先した。
「でも、まだ若いころのココロとルグが写ってるよ」
 キャロットは少し気になり、荷物を置き、戻る時ちらっと覗いた。
 『入学者一覧』のページには、ずらっと顔写真が並び、ココロとルグも載っていた。
「というか、ココロは入学時からふざけてるね。良い度胸してるよ」
 ルビーが指差したココロは、正面でしっかり写っていたものの、目線が明らかに明後日の方を向いていた。一方ルグは、まじめに写りとても精悍な顔つきである。
「キャロットは・・・ 多分・・・」
 ルビーはキャロットの写真を探した。そして、見つけた瞬間笑った。自分が予想した通り、無愛想に写っていた。
「もぉ。探すよ!」
 キャロットは、ルビーからアルバムを奪うと床に置きに行った。だが、気になり、床に置きながらパラパラとめくっている。
 すると、キャロットがルーの直接の『弟子』になった頃の三人の写真があった。(この頃はあんなに仲良くなるなんて思ってなかったなぁ) 新人幻奏大会の写真。(この時はココロが予定して無い幻奏を突然やって、伴奏する音楽家の人たちが大変だったんだよね) キャロットとルーが二人で写る写真。(この時は、すごい嬉しかった! でもすごい緊張もしてた)入学三年目はルグの写真が全くない。(ルグは長期間の冒険に出かけて勉強してないはずだったのにすごい成長してたなぁ。ココロは、いつもよりしっかりしてた)
 キャロットは、アルバムを見ながら当時のことをしばらく振り返っていた。

「はい!終わり!」
 ルビーはアルバムを勢い良く閉じた。
 アルバムが閉じられる音でキャロットは我に返った。
「そんなんじゃ、日暮れちゃうよ!」
ルビーは、せっせと山を崩している。
「ごめん」
 キャロットは、再び山に戻った。
 
 カメラ捜索は続いていた。
 山は大分崩れたが、見つからずにいた。床一面に散乱した資料などを見ると、余計に疲れを感じた。これは、もう諦めた方が良いかもしれない。そう思っていたとき。
「あった!」
 ついにルビーがカメラの入った箱を見つけた。そして、キャロットに手渡した。
 キャロットは、箱を開けて確認した。
「あれ? これ私の探していたのと違う・・・」
「そうなの?」
「うん。私の探していたのは白いカメラ」
 箱の中には、黒いカメラが入っていた。キャロットは話を続けた。
「それに、私のはフィルム式だけど、これ、クリスタル式だと思う」
「え?良かったじゃん! クリスタル式って良いやつでしょ? ここにあるってことは、ココロかルグが置いて行ったものだろうし。使っちゃいなよ」
 キャロットは少し考えたが、時間も迫っていたので、このカメラを使うことにした。

「さあ。どうする?」
 ルビーは、部屋に散乱した風景を仁王立ちで眺める。
 だが、キャロットは、カメラを箱ごと持って、扉に向かっていた。
「お〜い! キャロ〜。どこ行くの〜?」
「え? 使い方分からないから、誰かに聞こうと思って」
「ちょっと! この部屋どうするのよ?」
「あとで良いよ」
「そっそだね」
 ルビーはあっさりキャロットに賛同した。
「あっ。ついでに衣装室にも行くからドレス持って来て」
「ちょっと待って!」
 ルビーは用心して、開けっ放しの窓を閉めた。そしてドレスの置かれたテーブルに向かい、ハンガーに指を掛け、皺にならないよう持ち上げた。ドレスの裾にある宝飾が当たらないよう扉を通る。
 キャロットが、扉に鍵をかけた。
 足を階段のある方に向けたとき、正面から誰かが向かってくるのが見えた。

「やあ、お二人さん」
 そういいながら、膨れ上がった癖毛の青年が、二人の方へ歩いてきた。ステップを踏むような歩き方である。
 ルビーは『だれだろう?』とう表情を見せた。
「ピエール。丁度良かった。これ使い方分かる?」
 キャロットは、箱を差し出した。ピエールは、カメラを取り、構えた。
「ん〜! 良いカメラだねぇ!」
 そういいながら、ファインダーから覗き込み、キャロットを写すしぐさをした。
 キャロットは、顔の近くに向けられたレンズをうっとうしく思った。
「笑顔が足らないね〜」
「うるさいわね。で、どうなのよ?」
「型は古いけど、紫外線領域も撮れる優れものだよ」
「紫外線ですか?」
 ルビーは質問した。ピエールは独特の雰囲気を持っているものの、気さくで話しやすい人だった。
「そうですね〜 簡単に言うと、夜景を撮ってもぶれない ってことです」
 ピエールはファインダーから覗きながら話した。ルビーが色の初心者だと感じ、分かりやすい言葉を選んだようだ。
「そうなんですね! キャロ丁度良かったじゃん!」
 キャロットは、ご機嫌だった。
「で、どうやって撮るのよ」
 キャロットは、早く知りたくなった。
「シャッターを押すだけさ」
「え? 設定とかどうするのよ?」
「特にいらないよ。起動スイッチを押すぐらいかな」
 そういうと、実際にカメラを起動させ、廊下を撮影した。そして説明を続けた。
「このカメラはフィルム式と違い、『波長そのもの』を記憶するのさ。しかもその場で記録を確認できる」
 ピエールはキャロットに、ファインダーの下にある、もう一つの『覗き穴』から中を覗かせた。そこには綺麗な廊下が映っていた。さらに、右下の『小さな取っ手』を親指で調整し始めた。すると暗がりで見えなかったところが、鮮明に見え始めた。次に、ピエールはキャロットの後ろに回りこみ、両手でカメラを持ち構え覗かせた。今度は左下にあるボタンと組み合わせながら調整し始めた。すると、色々な見え方をし始めた。キャロットは万華鏡のように変わり行く風景を楽しんだ。ルビーも興味を持ち見せてもらう。

 ピエールは箱に入っていた紐をカメラに取付け、キャロットの首にかけた。
 キャロットは、カメラを嬉しそうに眺めた。

「それにしても、二人は仲が良いんだね」
「え? うん」
 キャロットはルビーと顔を見合わせた。
 ピエールと二人は今始めて会ったばかりである。(今さっき見せた、カメラのやり取りで、そう思ったのだろうか)二人は、ピエールを不思議そうに見た。
 ピエールはキャロットの顔を覗き込んだ。
「まだ、ちょっと目が赤いね」
「!」
キャロットとルビーは、『ハッ!』とし、再び顔を見合わせた。そしてルビーが恐る恐る、話し出した。
「あの、この扉を閉めたのって、もしかして・・・」
 ルビーはキャロットが親しげにしていたため、安心していたが、この人のことをまったく知らない。ルビーは疑い始めた。
(というかこの人ここで何してるの? 私たちが目を覚まして、扉がいつの間にか閉じていることに気づき、カメラを探している間に一時間は経過した。なのに、この人は、まだここにいる。キャロットの赤い目の話をしたということは、この人その時の私たちのことを見ていたはず。そして、再び私たちが外に出てくるのを見計らって現れた?)

 キャロットが、ピエールに問いかける。
「というか。なんでこんな所にいるのよ?」
「おや? 用が済んだら早速敵同士かい?」
 両手を空に向けるピエール。
「なによ。答えなさいよ」
「トーセンさんに用があってね」
「トーセンさんの部屋は一階じゃない。なんで上まで来るのよ」
「本当にトーセンさんに用があるんですか?」
ルビーがピエールに噛み付いた。
「なんだか誤解されてるみたいだね」
 ルビーの警戒を感じたキャロットは、トーンを優しくしてピエールに話を続けた。
「ピエールは、いつも行動が怪しいのよ」
 キャロットはそれだけ言うと、『もう、行こ』とルビーに言い、階段へ向かった。ルビーは疑問が解消されぬまま仕方なくキャロットの後に続いた。
 ピエールは去っていく二人に話を投げかけた。
「こっちの新人幻奏家をよろしく頼むよ。気も合うだろうし、仲良くしてあげてよ」
「気なんて合わないわよ」
 キャロットは、振り返らず答えた。そして、少し不機嫌になった。
 キャロットとはパンセが苦手だった。

 一階まで降りるとルビーが話し出した。
「ねぇ、あの人、なんだか変じゃなかった?」
「ピエールはいつも変だよ」
「いや、なんか、キャロットの部屋の前をウロウロしてたみたいだし」
「うん、なんか私のこと観察してるみたい」
「え?! なにそれ?! 大丈夫なの?」
「うん。ピエールのことは知ってるつもり。行動は怪しいけど悪い人じゃないよ」
「そうなの? だったら良いんだけど・・・」
 キャロットとルビーは再び美術館のエリアに入った。キャロットは来た道とは違う、外周の通路を進み始めた。通路は緩やかな弧を描き、途切れる様子も無く続いていた。通路は白一色で無機質だったが、窓の外には泉や木々、楽しげなオブジェが見え圧迫感は感じなかった。

「泣いてるとこ多分見られたよ」
 ルビーが、苦笑いで話し出した。
「別にいいよ」
 特に見られても平気、な表情だった。
「でも、うわさになったらどうするの?」
「ピエールは誰にも言わないと思う」
「口が硬い人なの?」
「ピエールは『紳士ばか』だから」
「そっか、『ばか』なんだ」
「そう、『ばか』なの」
 ルビーはキャロットの『ばか』発言を聞き少し安心した。

 しばらく歩くと、右手に白い造花が施されたアーチが見えた。アーチの奥には白い扉があった。キャロットが『ここ』と話すと、少し重い扉を開けた。

「ほら! さっさとしないと時間ないよぉ!」
 灰色のスーツを着た気の強そうな女性が、広い部屋で慌しく働くスタッフに、激を飛ばしていた。女性の首には、花と蔓を絡ませた渋くもカラフルなストールが大胆に巻かれている。
 部屋には沢山の化粧台が置かれ、壁には多くの衣装が並べられていた。そんな中、カラベールの生徒や先生、沢山の関係者たちが衣装合わせをしていた。
 ルビーはそんな光景を見て入室をためらった。
「私、ここで待っとく」
「ルビーも入って良いよ」
「私が入ったらややこしいって!」
 そんなやり取りを半開きの扉で展開していると、スーツの女性が気づいた。
「おっ?! キャロ! おーいっ! みんな! 今日のヒロインが来たよぉ!」
 部屋にいたみんながこちらを見て、挨拶やエールを送った。
「リースさん。ドレス持って来ました」
 リースは挙動不審な動きをするルビーの手元を見た。リースの目線を感じたルビーは、慌ててドレスを体の前に持って来る。すると、スタッフが何も言わず受け取り、持って行った。スタッフの作業的な動きに不安を感じるルビー。
「それじゃ、また後で来ます」
「まだ着替えないのか? 早めに戻りなよ」
「はい。 行こルビー」
「え? うん」
 ルビーはあたふたしたまま部屋を出た。

「私、絶対浮いてた・・・」
 部屋を出たルビーはうな垂れ、沈んでいた。
「そんなことないよ。みんな忙しくてルビーのことは見てなかったよ」
「え? そう? でもそれはそれで、寂しいな」
 ルビーはほっとしたものの、苦笑いをしていた。

「でも、着替えなくて良かったの?」
「え? 着替えたらドレス汚れちゃうよ」
 キャロットは、驚いていた。
「汚れるって今から何するの?」
「広場に行くの」
「え? カラベールから見れるじゃん。しかもキャロなら特等席用意してくれるでしょ?」
「近くで見たいの。それに、遠くじゃ先生の顔見えないし」
 ちょっと照れながら話すキャロット。
「なにそれ?! 顔なんていつでも見れるじゃん!」
「幻奏中が見たいの!」
 キャロットは、興奮しながらカメラを握った。

 窓の外は夕焼けに染まっていた。
 キャロットとルビーは正面入口の図書室へ向かった。
 図書室にいた一般客はすでにいなくなっていた。そして、交流会の準備が行われていた。
 この図書室は、基本的に二四時間、開放されている。一般人は入れないものの、カラベールの関係者ならいつまでも居続けられる。キャロットもまた、静まり薄暗くなった図書室で、いつも夜遅くまで本を読んでいた。
 だが、今日は違う。
 キャロットは、いつもと違う光景に、不思議な感じがしていた。
 キャロットは、そんな不思議な気持ちを持ちながら、昨日の夜と同じ行動をとってみた。
 昼の時間にも座っていた椅子に上り膝を抱える。高く広い天井を眺める。
 だが、正面入口から広場を見ると、沢山の人が騒いでおり、キャロットは、ふと、その騒ぎの理由が自分であることを思い出した。

 ルビーは、カラベール内から窓越しに正面入口あたりを眺めていた。
 しばらくすると、キャロットがルビーの横に来た。
 正面入口には、外へ出ても身動きが取れないほどの人で溢れていた。
「これじゃ、広場へは出れないね・・・」
「でも・・・」
 キャロットは、諦められずにいた。
「キャロ。何かあったら、あなただけじゃなく、ルーさんの幻奏の邪魔になる。ここに居といた方が良い」
「・・・うん。そうだね」
 キャロットはカラベールから出ず、この場で観ることにした。
 そして、ルーが幻奏を終え返ってくるのを、カラベール内で待つことに決めた。

 『光の膜』がキャロットの身体をすり抜けていった。
 ルーによる幻奏開始の合図だ。
 キャロットはカメラのことを忘れ、ルーに集中していた。

・・・

第五章 ありがとう

 【第五章 ありがとう】

 幻奏を終えたルーが、キャロットたちと共にカラベールに入ると、スタッフや関係者たちが慌しく動き始めた。
 ルーも慌てた様子である。
「少し時間を使いすぎた。予定が押してる。これからのことを、ここで話し終わったら、すぐにオレの部屋へ向かう」
「先生! 私まだ着替えてません」
「大丈夫。オレも私服だ。あいつなんて、変な服だ」
 ルーは、疲れた表情ながらも、トーセンを指差し冗談を言った。
 トーセンは、『聞こえましたよ!』という表情を見せながらも、ルーに一言伝え、スタッフたちを引き連れ、カラベールの正面入口に向かい、今日のメインゲストを迎える準備を始めた。
 正面入口付近の広場では、メインゲストを向かえるための準備が進められ、警備員が集い始めていた。

 ルビーは、この慌しさの中、邪魔にならないよう室内の端で立っていた。
 ルビーの見詰る先には、本やニュースなどで頻繁に見かける有名な職人たちが集まっている。そして、その中心に立つキャロットが、彼らに指示を出していた。

 奥のフロアから、拡声器のような、大きな円錐形の機械を背負った黒服の集団が現れた。持参しているケースの形状から、中身が楽器だということが分かる。集団を引き連れるように先頭を歩く男性の背中には『音色王国』の紋章が刻まれていた。その集団に気づいたカラベールの関係者たちは、思わず声を上げ、驚いていた。
 ルビーは、目の前を通る黒服の集団を知らなかった。
 だが、自国の紋章を背負い、他国に現れることが、どういう意味を持つのかは分かっていた。
 紋章を刻んだ男性は、会話中だったルーとキャロットに近づき、軽く挨拶を済ませると、『大扉』を通り、カラベールの総本部へ向かって行った。

 ルビーは、あまりにも自分とかけ離れた世界を、ただ、呆然と眺めていた。
 ついさっきまで一緒にいた『友達』は、いつの間にか、手の届かない『高嶺の幻奏家』になっていた。

 キャロットは話し合いを終え、ルーと共に大扉へ急ぎ足で歩き出した。
 歩きながら室内を見渡し、ルビーを見つけるキャロット。
 ルーに一言話すと、ルビーの元に駆けた。


 キャロットはルビーの元に駆け寄った。
 二人は、しばらく黙り込んでいた。
 先にキャロットの口が動いた。
「あっ・・・」
 口を開いたものの、言葉は続かなかった。
 室内は慌しさを増していた。外の広場も賑やかさを見せている。

 そんな中、ルビーの口が動いた。
「私は、ここまでみたいだね。
 今日はありがとう。とても楽しかった。
 色々な人に会えたし、私の知らない世界も沢山知ることが出来た」
 ルビーは淡々と語り続ける。
 「それに・・・あれ?・・・」
 ルビーは、突然視界が不鮮明になり戸惑った。自分が気づかない間に涙が溢れていた。

 キャロットは、ルビーをそっと抱きしめた。
「ううん・・・ お礼を言うのは、私の方。
 今日、ルビーが居なかったら、私、だめだったと思う・・・」
 ゆっくり静かに話すキャロットも、涙が溢れそうになっていた。が、堪えた。
「それじゃあ。行ってくる」
 キャロットは、ルビーの耳元で優しく呟くと、ルーの元に走って行った。

 ルビーは、走って行くキャロットが、遠くに見えた。

 キャロットは、途中で立ち止まった。
 そして振り返った。
 ルビーは、涙を拭いながら『なんだろう?』と思った。

「ありがとう!!」
 キャロットは、今までに見せたことのない、とびっきりの笑顔をルビーに贈った。
 ルビーはその言葉で、さらに涙が溢れそうになった。
 そして、
「キャロ! 頑張って来い!!」
 ルビーは泣きそうな声を堪え、笑顔で必死に返事をした。

・・・

第六章 光の国の少女

 【第六章 光の国の少女】

 キャロットは、ルーと共に大扉の中へ入って行った。
 急ぎ早にエレベーターへ向かう。
 エレベーターはすでに開けられおり、すぐに乗り込んだ。

 交流会の前に、ルーの部屋で、新人幻奏家二人による『顔合わせ』が行われる予定となっていた。
 カラベールはこの美術館を含め、色彩王国や国外に支店をいくつも設けている。そして、この美術館の上にカラベールの総本山となる『エルフォート城』がそびえ立っている。上というが、実際は空中に浮いている。エルフォート城は、色彩の研究所や一流職人の工房、情報室などからなり、カラベールを支える心臓部となっている。カラベールに在籍する職人や生徒の中でも特別に認められたものしか入ることが許されていない。ルーの部屋もまたエルフォート城の中にある。

 ルーとキャロットは上昇中も無言だった。
 エレベーターの壁はガラス張りとなっていた。
 空中を進む間、街の夜景が見えた。下方には、さっきまでいた広場が見える。キャロットは空ろな目をしながら、そんな光景を眺めていた。
 途中、エレベーター内で『隣のエレベーター』に乗り換え、再び上昇する。
 そして、ルーの部屋のある階へ到着した。

「私、頑張ります」
 エレベーターを下りてすぐ、キャロットはそう口にした。
 ルーは少し『間』を置き話した。
「今日は色々な事があったね。
 だけど、まだ終わっていない。分かるね?」
「はい」
 キャロットは、表情を引き締めた。

 独特の文様が描かれた廊下を進むと、大きく重厚な扉の前に着いた。
 扉は、両側の支柱から発せられる淡い光で照らされ、全面に大きくカラベールの紋章が刻まれていた。
 ルーは、扉中央の魔法陣に手のひらを当てた。すると、魔法陣の周りにあるリングが回転し、歯車が動き出した。扉は、ゆっくり両側へ開き出す。そして、二人は開ききる前に入っていった。

 大きなホールのような室内は、一面、重厚な絨毯が敷かれ、テーブルや棚、椅子、絵画、大きな立方体、そして、高い壁のような物まで、散らばるようにあっちやこっちを向き置かれていた。天井もドーム型をしており、部屋というよりかは『サーカス小屋』を思わせるものだった。

 ルーとキャロットは、扉を入ったものの、動けずにいた。
「しまった・・・散らかしたままだった」
 ルーは髪をかき上げ、そのまま頭に手を置き悩んだ。
 だが、しばらくして、片膝を床に着けるようにしゃがみ込むと、床に手のひらを当てた。そして幻奏中にも見せたドーム型の膜を再び発動させた。だが、相当身体に堪えてるようである。しばらくそのままの体勢で、何かを探るような仕草をとった。それが、終わると、右目の奥が光った。と思えば、ルーの周りをかすかな光が高速で周り始めた。光は部屋に散乱する対象に向かって一斉に飛び始めた。光は対象に到達すると、まとわり付くように周り始めた。そして、その後は『あっ』という間の出来事だった。
 椅子や棚、壁が同時に浮かびあがり、最短距離の弧を描き、ルーの目の前に同時に着地した。着地に迷いは無く、テーブルの下にも、ばらばらだったはずの椅子がきっちり収納されている。百本の積み木を、百本の手で同時に掴み、移動させた様だった。
 ついさっきまで、何も無かったところに、部屋が出来ていた。壁と壁の隙間から後ろの広い空間が見えている。

 ルーはソファに倒れこんだ。回復が必要だった。
 キャロットはどうすることも出来ず、誰かを呼びに行こうと部屋の外へ出た。
「わぁ!」
 キャロットは髪の長い老婆にぶつかった。素敵なドレスを着ていた。
「どうしたの? キャロ」
「あっ! キヨさん! ルーさんが大変なんです!」
「あー やっぱりねぇ。まあ、そのために、先に来たんだけどね」
 キヨは、全てを悟っているようだった。
 キャロットと共に部屋に入ると、ルーの元に向かった。
 ルーは目を開け、見上げた。
「なんだ。キヨばぁか・・・ もっと若い奴はおらんのか」
 ルーは、キヨを見てぼやいた。
「うるさいわねぇ。あんたも『じじぃ』じゃないの」
 キヨは、ルーの胸に手を置いた。緑色に輝く魔法陣が現れ、消えると、ルーの身体をキヨのオーラが包み込む。ルーは次第に楽な表情をみせ、深く息を吐いた。

「あんた、ちょっとやり過ぎだよ」
 キヨは、あきれていた。
「わるいな・・・」
 ルーは、治療を続けるキヨの手に自分の手を重ねた。
「まったく・・・」
 キヨは、そのまま治療を続けた。
「でも、見せ付けてやったよ」
「まあ、ね。ヴェーネスは褒めてたよ」
「そうか、良かった・・・あれでだめなら、オレはもう無理だ」
「何を言うんだい。あんたは、なにがあっても諦めないだろ」
 ルーとキヨは、話の掛け合いをしばらく続けた。

「そうだ。あんた。ヴェーネスに感謝するんだよ」
「何がだ?」
「保安部隊が止めに入らなかったのも、観客に被害が無かったのも、誰のおかげだと思ってるんだい」
 ルーは、キヨの話を聞くと、ゆっくり手で顔を覆った。
「根回しは出来てたと思ったんだけどなぁ。これからどういう顔してヴェーネスと会えば良いんだよ・・・」
「知らないよ」

 キヨによる回復が終わった。完全回復には程遠いが、普通に歩けるほどに回復していた。

「そろそろ、ヴェーネスたち来るんじゃないかな」
 キヨは、そういう予感がした。

キャロットとルーは、キヨの予感を聞いて色々考えはじめた。

 キャロットは、今日、ルビーと会って初めて会話したときの内容を思い出していた。
(ルビー、何か言ってたなぁ。『会うときは愛想笑いぐらいしときなよ』だったかな?
 渡された本は何だったかな・・・『初めて会う人に、好かれる話し方』?
 でも、あれタイトル読んですぐ返してしまったし、内容分からない・・・)

 ルーは、ヴェーネスに『謝罪すべきか』『感謝を述べるべきか』『それとも何もしないべきか』と悩んでいた。
(いや、そもそも、ヴェーネスは、あの時、「良いだろう。認めてよう」と話した。だったら、ここは、流れ的に、「あなたを認めさせた者です!」という、堂々とした態度を取っておけば良いのでは?)

「あっ、忘れてた」
 ルーは、突然何かを思い出した。
 すると、壁と壁の隙間から見える先に、色とりどりの草原を幻奏し始めた。
 手前から『丘』がどんどん造られていく。
 最後は、建物を形取り、草原の先に立つ街を作り上げた。
「内装はこれで良し!」

 矢継ぎ早に幻想を仕上げた直後、廊下から足音が聞こえてきた。
 キャロットとルーは、二人揃って、動揺した。
そして、二人は、互いの耳元でコソコソと相談を始めた。
「キャロ! なんとか良い雰囲気作ってくれ!」
「私に出来ると思いますか」
「無理か・・・」
「無理です」
 相談はすぐに終わった。

 トーセンが部屋に入り、続いて、ピエールとヴェーネスが入ってきた。
 ルーは、ヴェーネスと顔を合わすも、何も話さなかった。

 そして、キャロットは、次に部屋に入ってくるであろうパンセに注目した。
 キャロットは考えていた。『どういった顔をしたら良いのか?』『第一声はどうしたら良いのか?』 キャロットは、普段は考えないようなことを考えていた。『ルビーに差し出された本を読んでおけば良かった。』などと思うも、結局何も思いつかず、普段の自分でいることに決めた。
(入ってくるなら、早く入って来てよ!)
 妙に緊張するキャロット。(こうも緊張するのは、ルビーやピエールが、余計な事を言ったからだ。もう!) キャロットは機嫌を悪くしていた。
 
 キャロットはパンセの身長を思い浮かべ、なぜか、扉のどの位置を頭が通過するかを想像した。
(このぐらいの高さだったかな? パンセは結構身長高いんだよね)
 などと思っていると、人影が扉を通った。
「ん?」
 キャロットは、パンセの身長の低さに驚いた。
 が、良く見るとパンセではなかった。
 小さな少女だった。
(だれ?パンセに妹なんていたっけ?)
 再び扉を見詰るも、なかなか出てこない。
「では、こちらからご紹介します。『ミルキー・ローズ』こと、「キャロット=ハーベニュー』です」
 トーセンが、話し始めていた。
 キャロットは、パンセを確認するため扉の方に向かった。
「キャロット! ちょっとどこ行くの?!」
 トーセンが、キャロットの手を取り引き戻す。
 キャロットは、なぜ止められたのか分からなかった。
「パンセは来ないの。ファゴット側の新人は、あの子」
 トーセンは、キャロットの身体の向きをヴェーネス側に向けた。トーセンの目線の先には、さっきの少女がいた。ブロンドの髪に金色の目、ワインレッドのドレスを着た、まるで人形のような顔立ちの美しい少女である。


 同時期、広場の巨大モニターの『新人幻奏家紹介』の映像が、パンセから少女に切り替わった。
 広場に集まった人たちは、突然の変更に戸惑い、騒ぎ出している。
 ヴェーネス派の人たちでさえ、知らされていなかったらしい。顔を見合わせ、何が起こっているのか分からずにいる。


「どういうこと?」
 キャロットは、ヴェーネスやキヨより前に出る、ピエールに話しかけた。
「この通りさ」
 ピエールは、両手を広げた。
 納得できないキャロットに、ピエールは話を続けた。
「パンセは来ない。今回ファゴット側から選ばれたのは、この子さ」
 キャロットは、振り返ってルーとトーセンを見た。二人とも頷いていた。
 キャロットは、ファゴットの新人がこの少女だということは、理解した。だが、今まで見たことも聞いたことも無い、目の前の子を、ファゴットを代表する新人と言われたても、納得出来なかった。

 キャロットの疑心暗鬼な態度に、ピエールが説明を始めた。
「この子の名前は、アンヴィ=ヴァレンドール。『光の国』の姫君さ」
 ピエールは、手のひらを上にしながら答えた。
「そのお姫様が、なんでこんなところに居るのよ?」
 キャロットは、『姫』という言葉に臆することなく話した
「その子も幻奏家なのさ。しかも飛びっきりのね」
 キャロットは、目の前に居る同い年ぐらい少女が、自分より実力が上だ、と言われたような気がして、心がざわめいた。
「さらに・・・」
 ピエールが話をし終わる前に、アンヴィは、キャロットの方へ足早に歩み始めた。
 そしてキャロットのパーソナル・スペースをあっさり超え、鼻同士が付きそうなぐらい、正面ギリギリまで顔を近づけ、立ち止まった。
(近い・・・!)
 キャロットは、思わず、アンヴィの両肩を掴んだ。
「あなたがキャロットね」
 アンヴィは、『空ろな瞳』でキャロットを見詰た。
「だったら何よ?」
 キャロットは動揺しながらも答えた。
 アンヴィは、しばらくキャロットを見詰ていた。

 キャロットはアンヴィの両肩を掴み、上半身を正面からずらし、その先に見えたピエールに向かって質問した。
「ねぇ、ピエール! この子なんなの?!」
 アンヴィも、ずらされた先に見えたルーに話しかけた。
「ねぇ、ルーさん? この子がそうなの? そんなにすごそうには、見えないけど」
(!!!)
 キャロットは、再びアンヴィを自分の正面に戻した。マイクパフォーマンスのような素早さであった。
 変わらず、鼻の付きそうな至近距離で話すキャロットとアンヴィ。
「あなた。ルーさんに馴れ馴れしいわね」
キャロットは不機嫌に話した。
「あら、ルーさんはあなたより、私に興味があるのよ。お分かり?」
 アンヴィは表情も声色を変えずに、スラスラと言葉を繋げた。
「!!!」
 キャロットは髪の毛が逆立つのではないか、というぐらいの形相を見せた。
 だが、我に返り、穏やかになって行った。

 続けて、キャロットは目を閉じ静かに自分の世界に入った。
 集中する彼女の身体から光の膜が広がり、自らの幻奏領域を広げた。
 球形の膜は部屋を丸ごと覆った。
 キャロットは、両手をアンヴィの肩に置いたまま、集中し続けた。
 すると床に大きな魔法陣が現れ、静かに消えて行った。
 アンヴィは、そのまま動こうとせず、キャロットの行動を観察していた。

 少しの『間』を置くと、キャロットを中心にして、床から『ダイヤモンドダスト』のような細かい光の粒子が、まだらに現れ始めた。
 そして、次第に光の粒子は、まとまった形をとり、花びらの形状を作り始めた。葉も茎も白く繊細に輝く薔薇が現れ始めた。
 薔薇は次々に咲き広がり、辺り一面を白銀の世界に変えていった。
 キャロットは幻奏を続けた。
 白く輝く薔薇に、淡い赤紫色の『ローズ・シロップ』を注ぎ込んだ。白い薔薇は徐々にミルクと溶け合うかのように広がり、淡いピンクの濃淡を見せ始めた。と同時に二人を特大の薔薇の花びらが、滑らかな曲線を描きながら包み込み光がきらめき開花した。
 視界は、輝く白銀の光に覆われた。続いて淡いローズ・シロップの色彩が追いかけるように溶け込み始めた。溶け合い続けるが、永遠に溶け切らない神秘的な銀河のようだった。
 
 キャロットの極小粒子幻奏は、絹の衣のように滑らかな表情を見せる。薔薇のような強さと、ミルクのようなやわらかさを融合させる幻奏。

 キャロットの幻奏を見ていたアンヴィは、空ろな瞳をしたまま、自己の幻奏領域をキャロットの領域と重ねるように広げた。
 アンヴィの瞳の奥が一瞬、燃え上がるかのように輝いた。
 キャロットは、少し身構えた。
 アンヴィが魔法陣を発動させると、徐々に光が舞い始めた。
 次第に、光は形を作り始めた。やがて、『湧水から川が生まれる』その一連の自然現象を光で模写した水を作り出した。
 光の水面は、水の水面より繊細にきらめいていた。
 そして、辺り一面に広がる薔薇の間を流し始めた。流れる光の水は、徐々に勢いを増し、水の渦と渦がぶつかり水しぶきが飛び散った。そして、飛び散った水は、そのまま宙に留まり続けた。

 アンヴィは、繊細に輝く薔薇の美しさに、潤いという水の要素を添えていった。そして、大きな薔薇へは、『カスミソウ』を象った、飛び散る小さな雫を沢山添え、透明な水の衣を羽織らせた。そして、最後に水の流れを巻いて、リボン結びをした。それは、けして派手なものではなく、キャロットの幻奏表現に合わせた、優しい噴水や、やわらかいシャンデリアを思わせる仕上がりとなっていた。

 アンヴィは、キャロットに対峙することなく、協調する幻奏をとってきた。
 キャロットは少し動揺した。
 アンヴィからは敵対意識を感じていただけに、キャロットは、自分の幻奏と張り合う幻奏をしてくると思っていた。
 だが、実際は、キャロットの幻奏の流れに合わせ、演出を補助する伴奏のような幻奏を組んできた。
 幻奏に幻奏を重ねる手法。相手の波長を理解しなければ成立しない高等幻奏である。
キャロットは、素直に『すごい』と思った。

『ハッ』と我に返ったキャロットは、アンヴィに話しかけようとしたが、言葉に詰まった。
 そうではない。話そうとしたが、相手を認める発言しか頭に浮かばず、戸惑ったのだ。
 キャロットが言葉を発するのをためらっていると、アンヴィが口を開いた。
「あなた・・・美しいわね。それ、どのように魅せてるの?」
 その言葉にキャロットはさらに敗北を感じた。
 幻奏を美しいと言われても、自身の思考は美しいものではなかった。
 意地を捨て、素直に相手を称える美しさ。
 幻奏家以前に、器で負けていた。

 キャロットは、静かに幻奏を終えた。
 それに合わせ、アンヴィも幻奏を解いた。

 そして、キャロットは話を続けた。
「ううん。あなたの方が美しかった。ごめんなさい」
 キャロットはアンヴィを見習い、素直に言葉を綴った。
「そういうのは良いわ。それより幻奏を教えて」
アンヴィは、キャロットの話を流した。
「も〜分かってるわよ。後で教えてあげるから!」
 キャロットは、少し不機嫌になった。
「本当ですよ」
 そういうと、アンヴィは、にっこり笑った。
「なによ。かわいい顔、出来るじゃないの」
 

「さあ、そろそろ準備するわよ」
 キヨが時計を見て二人に話しかけた。その近くでは、リースが、キャロットのドレスを大切そうに持っていた。


 幻想家たちは、交流会会場の大演劇場へ向かい始めた。
 エレベーターに乗り込むと、ルーは各階の番号ではなく、『大演劇場』と書かれたボタンを押した。

 キャロットはエレベーターの中で話し出した。
「ねぇ、アンヴィ?」
「?」
「私の幻奏の方が素敵だったでしょ?」
「あら。私のは、予行練習でしたのよ。まさか、キャロットは、あれが限界でしたの?」
「違うわよ。私も予行練習よ」
「そう? では、これから本当の幻奏を見せ合いましょ?」
 エレベーターは暗い通路を進んでいたものの、突然、明るい空間へ飛び出した。真下には、大きな円形の舞台があり、その周りを、劇場内を埋め尽くすほどの観客が囲っていた。
 エレベーターが、舞台の上空で制止した。下の観客が随分小さく見える。
「望むところよ」
 キャロットが不機嫌に答えると、エレベーターの床が抜けた。

 幻想家たちは、落下しながらそれぞれ黄金の魔法陣を発動した。体が黄金の光に包まれ、光の残像を空に残しながら落ち続ける。
 大きな衝撃音と共に着地すると、光が舞台上で拡散した。
 そして、立ち上がると同時に、大歓声が上がった。


 交流会が、始まった。





おわり。